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日本へ帰省中、東北被災地へ6日間のボランティアへ行ってきました。
本当に貴重な体験だったと思うので、自分の見たこと、感じたことを綴っていきたいと思います。
しばらくおつきあいください。

短い滞在でしたので自分が見たものはほんの一部の様子です。それと現実が一致するかどうかは分かりません。でも実際に自分の目で見ることや、実際に見た人からの話を聞くことは、報道で知ることとはまったく違いました。被災地の情報をもっと知って欲しいという気持ちでブログにかいていきます。

ただし、知らせるという行為自体をよく思わない被災地の方々がいらっしゃるかもしれません。書くという行為そのもので、被災地の皆さんの心を傷つけてしまったら本当にすみません。
また、表現や内容で配慮のない点がありましたら訂正しますので、どうぞ皆さんご指摘ください。


私がお世話になったボランティアセンターは、遠野まごころネットです。岩手県遠野市にあり、被害のひどかった複数の被災地へ近い立地にありながら、あまり被害のなかった地区でした。大槌市、釜石市、陸前高田市などへ車で1時間ー1時間半ほどの距離となります。(被災地にはそれぞれのボランティアセンターがあります。それとは別です。)

現在の被災地の状況をお知らせしたいと言っても、活動の場所までバスで移動し、バスを降りた場所は小さい範囲に過ぎず、ほとんどバスの窓から見ただけのものです。被災地を知ったとはとてもいえず、短い滞在での私個人の印象だとお考えください。


・・・

目にした光景で、個人的に一番ショックを受けた被災地は釜石市でした。

釜石市は広く、その中でも一部の地区なのでしょうが、津波から11ヵ月後の当時でもまだまだ解体を待っている建物がたくさん残っていました。無事だった建物が並んでいるように見えて、近づいてみると建物の一階はどこもほとんど建物の枠だけで、壁も、玄関も、窓もなくなっているのです。2階はまだ壁や窓が残っている部分がありますが、それが余計に人々の生活感を感じさせます。建物によっては壁や天井が、バラバラに破れた薄い紙切れのように無数にぶらさがっていていました。

映像ではもっとひどい光景を何度も見ているわけですが、ネットで見るのと、実際に目にするのとでは、全然、違いました。

震災の頃は生存者を探す捜索隊と、遺体を収容する部隊は別だったので、建物には捜索の際の印が残っています。この建物には遺体があると知らせたい場合はX印を記し、遺体が収容されればXを○で囲んであります。建物を解体して欲しい建物には赤い旗がたっており、解体はしないが瓦礫の撤去をして欲しい建物には黄色の旗が、手をつけないで欲しい建物には緑の旗がたっています。

釜石では解体を待っている赤い旗を立てた建物が、次から次へと目に入ってきました。そのほとんどにX印が残っています。遠めでは明らかに人の気配がある建物なのに、バスの窓から次々に現れる光景はどれも幽霊屋敷のように見えました。景色を見て胸がつぶされるという経験は生まれて初めてで、最初に見たときは涙が止まりませんでした。それから何度か釜石市のそのあたりを通るたびに、言葉もなく、誰もがしーんとなって、窓の外に見入っていました。

ハード隊には参加しないというボランティアもいましたが、被害のひどかった地区を一度見ておくべきで、あれを見ると被災地の方々への気持ちも変わる、という話をボランティア仲間でしたことがあります。その話をしながら建物を思い出すと、再び涙が流れてきて、ボランティア仲間数人でうるうるしたこともありました。


・・・・

陸前高田市は、主だった場所の建物の解体も瓦礫の撤去もほとんど済んでいて、海からずーっと続く広大な土地に、建物が数軒残っているのみです。

文字通り、なにも、残っていません。
水平線までどこまでも果てしなく続く、焼け跡のような印象を受けました。
あれだけの広い土地の瓦礫を全部取り除くには、たくさんの人々の努力があったと思います。

何もない光景にはショックを受けると聞いていたので心構えができていました。何も残っていないので生活感を感じないせいか、以前の町並みを知らないせいか、釜石市のように悲しみに包まれることはありませんでした。ただただ、非現実的な光景に見えました。

一緒にいたボランティア仲間が「戦争の後みたいだね・・」とつぶやきましたが、本当に戦争後の焼け野原のようでした。そこにあった何もかもがあっという間になくなってしまった・・というような。
自分が住民であったならば、とてもあのような光景は目にできないでしょう。

不思議なことに、あの時はショックがなかったと思った陸前高田市の光景は、時間が経ち遠くスペインへ帰ってきてからは、釜石市以上に、思い出して胸の痛む、脳裏から離れない、つらい光景として自分の中に残っています。


その他、瓦礫置き場にも圧倒されました。周辺に小高い山がいくつも連なる地帯にあるのですが、その小山と変わらないような、大きな瓦礫の山がいくつもいくつも残っています。瓦礫の山・・というのは誇張でなく、本当に天にも高く届くような瓦礫の山なのです。瓦礫の処理に困っている・・という現実を見ました。


私は2012年2月のボランティア参加だったので、本当に悲惨だった状態というのをまったく知りません。
私が見たものは当時を知っている人にとってはずいぶん「よくなった」光景です。それでも初めてみた被災地は十分に自分に大きな衝撃を与えました。


東北ボランティア記、まだまだ続きます。
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■津波・原発 | コメント(0)
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