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滞在許可証の手続き情報

2013/11/03 Sun 23:27

どうしちゃったの?という心配の声をたくさんいただき、ありがとうございます。最後にアップしたのが7月なので、数ヶ月ぶりの記事です。

引越しをしたり、体調も崩したり、仕事も忙しく、怒濤の毎日。
ようやくちょっと落ち着いて来たところです。
引越の家はまだまだ落ち着きませんが、そのうち、そんな話も。(・・いつ?)


今回はバルセロナ在住者向け、滞在許可証の更新情報です。
私が皆さんに「最近、更新した方いますか?」と一斉メールで質問をしたのですが、ちょうどこれから、、という皆さんから、私宛に今度は「あれ、どうした?」と問い合わせが殺到?(笑)

いちいち返答も面倒なので、こちらにまとめてみます。

まずは、Guadalajaraの警察は閉鎖しました。
新しい申請場所はRambla de Guipzcoa です。番地は思い出せないけど、citaを取れば住所が出てきます。

申請は予約制になりました。
これは2013年6月中旬からスタートしました。
最近やった友達に確認して「前と変わっていない♩」と安心していたのですが、数ヶ月の差で予約制に。6月から更新は可能だったので、早くやっておけば良かったです。


私はパーマネント(永久)を持っているため、この更新は本当に簡単で、なーんにも必要ありません。
前回5年前の更新の時にも、簡単すぎて、たらい回しに。結局係員に言われたことと全然違ってて、その場でできたよ、というのがあったので、今回も「予約制に変わった」と言っても、きっと係員が知らないだけで、パーマネントの更新はその場でできるはず、、と本当にあちこち廻りました。

結論として、本当に1箇所だけ、予約なしで更新できるカテゴリーもありました。
できると言われて、おお!と喜びましたが、残念ながら、パーマネントをもうすでに持っている人は該当しませんでした。
そう。パーマネントの更新の人は、絶対にcitaが必要です。
(その場でできるのはカタルーニャ広場のFNAC の横のところの警察です。2回目の更新か、初回のパーマネントかは忘れましたが、そういう人はここが「唯一」citaなしで申請できるところだと言われました)

というか、huella(指紋捺印)の手続きが完全予約制となったのです。
他のカテゴリーの人は
1)その場で申請 or 予約を取った上で、初回もしくは更新手続きを申請する。
2)審査され, favorable(OK)が出たら、huella(指紋)の予約を取る。

という仕組みです。
1)の方は調べてないので分かりませんが、2)の指紋の予約が完全予約制となりました。(学生さんもすべて含む)

パーマネントを持っている人は、1)で審査を受ける必要がありません。だから、最初からダイレクトに、2)huellaを申請すれば良いだけです。
結果を知ってみれば簡単。でもこれが分かりにくくて、また今回もたらい回しでした。


必要書類はいろいろ情報で出回っていますが、Rambla de Guipzcoa で書類をもらえるので、最新の必要書類を確認した方が良いでしょう。

まあ、パーマネントの人は、必要書類はそんなに変わらないと思います。
私が必要だったのは
・写真2枚
・有効のパスポートのオリジナルとコピー
・タルヘタのオリジナルとコピー
だけです。昔と同じですね。
・引越した場合は、empadronamiento(住民登録)を持っていけば、新しい住所にしてくれます。

私はちょうど引越だったので、住民登録を済ませてから新しい住所で許可証をもらいたかったです。
しかし住民登録は今は正式なアパートの契約書などが必要だそうで、タッチの差で間に合わず。
古い住所のままで更新となりましたが、考えたら、タルヘタの住所が現住所を違ってて困ることは別にないで、いっか。

また、長い間EUを留守にすると、パーマネントでも滞在許可証が更新されない場合がある、と最近言われており、パスポートの全ページのコピー提出を求められることもあるようです。これはマドリッドなんでしょうか?
バルセロナではそんな案内もなく、聞いたこともなく、顔写真のところのコピーがあればOKでした。
(追記=バルセロナでもComunidadのタルヘタの人で、初回申請と2回目の申請時は、全ページコピーが必要だったそうです。パーマネント=larga duracion になった人は必要ないのかもしれません)

このパスポートの全ページの話ですが、
領事館や大使館からも「スイス、ドイツなどの国で乗り換えの時に、EU入国のスタンプが押されない場合がある。それがないと更新で問題になるので必ず押してもらうように」と通達が来てました。これはEU国籍の人と結婚している人は問題にならないそうですが、そうでないすべての人に該当するそうです。

私はちょうどパスポートの更新もしたので、なんのスタンプもない真っ白のパスポートを持っていました。
そして、問題の、スイスやドイツに乗り換えて、ドブロブニクに夏に遊びに行ったのですが、その時にスタンプを押してくれと主張するのに苦労しました。「君はスペインの滞在許可証を持っているから必要ない」「いや大使館から通達が来た。スペイン政府はEU出入国のスタンプが足りないと、滞在許可証が取り消される」などと押し問答。本当に疲れました。

ドイツ(行きに乗り換え)やスイス(帰りに乗り換え)てドブロブニクに入り、クロアチアのスタンプだけあると、真っ白のパスポートで、私が「EU 圏外にいた」ことが証明されるが、EUに入った時の「本当にEU内に滞在していたのか」がどこにも証明ができなくて、問題になるのだそうです。

そういえば私はよくスイスやドイツで乗り換えて日本に帰るのですが、過去のパスポートを見ると、本当にEU入国時のスタンプが押してなくてびっくり。あの時には質問などされたあと、押されたような気がしてたのに、。日本の出入国スタンプだけがあり、ドイツやスイスはどこにもないことが多く、それも1度や2度ではない。あんた本当にEU内にいたの?という状況になってました。見られなかったとは言え、皆さんも注意しましょう。

「ちゃんと押してもらうように」というお知らせが大使館や領事館のホームページにも乗っていますが、それをいちいち、税関で説明しなくて良いように、領事レターでも作成して欲しい、と思ってしまいました、、。
ああ。疲れた。

しかし押してもらえなかったら、スペインに戻ってきてから、航空券などを持って、近くに警察へいけばスタンプを押してくれるのだそうです。税関で疲れたので、次回からはそうしようかしら、、と思いました。


指紋の予約の話に戻ります。
指紋予約のページに入ると、favorito の連絡をもらった人のためのようなページが出てきます。
私は最初これではないと思い込み、違うページを探しました。

いろいろ見ましたが、自分の該当しそうなものは、
renovacion de autorizacion de residencia , y /o Aut de Residencia y trabajo
という項目しかありません。他はまったく該当しないからです。

これで予約を取ってみると、Paseo San Joanの警察で予約が取れてしまうので、場所が違うんじゃないかとちょっと不安に思っていると。当日「ここじゃない」と言われました。がーん。これは1−2回目更新の人たち用で、パーマネント用ではないそうです。

在住者掲示板でみると、同じように間違えて、撃沈した人から複数書き込みがありました。分かりにくいんですよね。

でもやっぱり、5年前と同じってことです。
パーマネントの更新はどうするか?についての情報がまったくネット上に発表されていないし、係員も知らない。
たらい廻しになったあげく、最後は「あー、パーマネントはもうそういうの必要ないから、案内がないのよ」と言われる。

でも私以外の人もたらいまわしの話をしてたし、実際には問い合わせも多いと思うのですよね。
「パーマネントを更新する場合は、直接指紋のページをご予約ください」という1ページでも作成してくれれば良いようなものを。
いつまでも学ばないスペイン、、、。

本題に戻りますが、やり方です。
予約のページはこちらからです。
次にCita Previa→Obtener citaと進みます。

自由にキャンセルしたり、日付を選び直したりもできましたよ。
日付が過ぎてしまった中国人が警察に来てましたが、過ぎたらcitaを取り直しなさいと言われてました。

予約した日に、Rambla de Guipzcoaへいき、その場で必要なものを提出して、指紋。
今回はなんと指紋はデジタル化してました。サインも。
あとはいつものように、30日後ぐらいに警察へ取りにいきなさい。45日後には失効します、の紙をもらって終了です。

警察は昔学生の頃に取りにいった、マヨルカの角のところの警察でした。
警察でもらう時にも、デジタル指紋との照合がありました。
「申請した人と、取りに来た人が、別人という詐欺に対応できる」と言ってました。
そんなことがあるんですねー。

そうそう。webから質問メールが送れるところがあります。
2度ほど送ってどちらも返事が早く来るのですが、私のケースを説明しても、結局、「パーマネントを持っている人はどうすれば良いのか」は誰も分かっていないようで、返答がもらえませんでした。
Rambla de Guipzcoaへ聞きに行けと言われる。もうそこには行ったんだよ!!(怒)
たらい回しになると、途方にくれるんですよね。なんで誰も知らないのか。
口コミが一番良かったので、最近更新した人から情報を得るのが一番ですね。

また、Rambla de Guipzcoaでもらった情報も2つ間違ってました。

1つは写真。
必要書類の中に、写真は1枚と書いてあるのです。
あれ?いつも2枚なのにな、、と思ったので、一応2枚もっていったら、やっぱり2枚必要でした。
1枚と書いてあったけど、念のためで良かった!と伝えたら、「え?その紙見せて、」と言われ、係員も気づいてないようでした。

2つめは、タルヘタを取りにいく場所。
マヨルカの警察、、と言われたような気がしてたのですが、1ヶ月たつと、忘れちゃうんですよね。
あの警察、マヨルカとバルメスの角だったかな?何番地だっけ?と書類を見ると、Rambla de Guipzcoaの同じ場所に取りにくるように書いてあるのです。

えー?またあんな遠くに行くの?というのと、
あれ?なんでマヨルカだと思ったんだっけかな?違うところと言われた気がしたんだけどと思いつつ、行ってみました。

行ったら、警察の前に係員がいて、そこで素通りをしようとしたら、「用件は」と止められました。そこに数人とまっていたけれど、前はフリーで通れたので、私は取りに来ただけだし、入れる、、と思ったのですね。
そこで用件をいい、紙を見せたら、通してくれました。(ここで通さないでくれたら良かったのに。つまりこの係も、取りにいく場所をよく知らなかったということですね)

そしてExtranjeria(警察)はそこから奥まったところにあるのですが、そこの入り口では受付前に行列が。
( citaの日はここの受付で番号札をくれます。全員がこの受付を通らないといけません。受付は一人だけなので並ぶときは並びます)
長蛇の列で並んで、ようやく順番が回り、用件を言うと、「ここじゃないよ」と。
えええ??
マヨルカだよって言われて、よーく用紙をみてみると、紙にはそこにとりにくるようにと書いてあるのですが、マヨルカの住所の書いたスタンプが端っこに押してあるのです。
そうだ。このスタンプを見せられて、この住所に行ってね、と言われたんだと、思い出しました。
しかしスタンプは赤くて薄くて、1ヶ月もたつと、私の目には、「模様」に見えていました。。。模様を読もうとはせず。


文章の方には、長い文章で、Rambla.. の方に取りにくるように、と書いてあるので、そちらが目立つ。あとでマヨルカの警察に行って、「あっちまで行っちゃたよ」と愚痴ると、また「え??そうなの?その紙見せて」と言われ、「信じられない、そんな情報を載せるなんて。とりにくるのはずっとここなのに」と言ってました。ですから皆さん、要注意です。

そうそう。要注意といえば、もう1つ。Rambla..の警察。
最初に行った時には道沿いに誰もおらず、すぐ右手を見ると、それらしきオフィスがあるのでそこに入ってみました。中はガラガラだったのですが、私は過去の更新の時も、ガラガラで、中に人が2人しかいない、という嘘みたいな経験がある人間なのです。番号取ったら、すぐに順番が廻ってきちゃう!みたいな。

だから、あまり疑問も持たず、機械で、「DNI更新の予約なしの人」という札を取り、着席。
やっぱり予約なしでできるじゃーんと思いながら、順番が回ってきたら、そこはスペイン国籍の人の更新の場所だということが判明しました。
外国人用は、正面玄関よりも、もっと奥のpatioみたいなところの向こう側にあります。入り口の警察に聞くと良いですね。


長文失礼しましたが、情報、共用しましょう。
(しかし、私は大変苦労したぞ。 予約制になって、まだ間もなかったから、余計にでしょうね)
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滞在許可 | コメント(0)
Facebookでシェアされていて、友人が「あまりこういうの読まないのに、読んだら鳥肌がたった」と言っていたのであまりそんなものを読まない私も読んでみました。そしてうるっと涙、、。

いじめって、おそらくやっている方はそんなに悪いと思わずにやっているんじゃないかと思うのです。だいたい中学生など過渡期の、まだ大人になっていない時期ですよね。

それをはっきり「悪いことだ」と強く言える大人がいてこそ、気づかされることは多いと思います。

みなさんにも紹介します。

ーーー


【先生が叱ればイジメはなくなります。】
『先生』

ひどいイジメだった。胃潰瘍ができた。

毎日毎日、恐怖が続いた。

いまもそのトラウマが残っている。

僕がボクシングを始めた理由。

それは、中学のときのイジメだ。

相手に仕返しするためじゃない。

自分の身を守るため。

パンチを打つのではなく、

相手のパンチをよけるため。

僕は強くなりたいと思った。

僕は北海道の豊浦町で生まれた。

家は貧しかった。

サビだらけのトタン板で囲われた木造二階建て。

窓は木枠でできていたけれど、

きっちり閉まらない。

毎年、冬の寒さをしのぐため、

ビニールを打ち付けて、窓をふさいでいた。

僕には父親の記憶がない。

僕が生まれてすぐに離婚したらしい。

母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、

朝から晩まで忙しく働いた。

なにも買ってもらえなかった。

中学時代当時の僕は、身長が140センチくらい。

相手は170センチ以上あるやつもいて、

喧嘩してもかなわないと思った。

僕は笑いのものにされ、

使いっぱしりをさせられ、

それでもご機嫌をとり、

媚を売りながら生きていた。

母親には隠していたけれど、

ある日、お腹が痛くて病院に行くと、

胃潰瘍ができていた。

中学三年になって、

さらにイジメはエスカレートした。

モノを隠され、

靴を捨てられ、

服を脱がされた。

もう、限界だと思った。

カラスやスズメ、

虫でもいい、

人間以外のものになりたかった。

学校に行きたくなかった。

そのとき、佐々木先生が異変に気づいてくれた。

先生は、小さくて、

運動神経がよくて、

サッカー部の顧問。

歳は25歳くらい。

生徒との距離が近くて、

冗談が通じるやわらかい雰囲気を持った人。

その佐々木先生がホームルームで、

こう切り出した。


「最近、誰かが、誰かをからかっている。

特定の人に、ひどいことをしている。

誰がやっているか、思い当たる人は手をあげろ!」


誰も答えない。

すると先生は、大声であいつの名を呼んだ。

「おまえのことを言ってんだよ!!」

シーンとなった。

僕は、ビックリした。

すごいと思った。

こんな大人もいるんだと思った。

先生が叫んでから、イジメはおさまった。

僕は、ボクシングを始めた。

不思議なことに、強くなると、

やり返そうという気持がなくなった。


「先生のひとことで、救われたんだよ」


フライ級の日本一になって北海道に帰ったとき、

先生にそう言った。


先生は、変わらぬ優しい笑顔で、小さくうなずいた。
----------------------------------------


子供の頃のことを思い出しました。
小学校は最初3クラス、途中から2クラスになったような、小さな規模の学校でした。
何年生だったか覚えていないのですが、クラスの男の子がある日「ごきぶり」と言われてからかわれたのを目撃し、子供ながらに衝撃を受けました。
そして子供ながらにそんなことは言ってはいけないと思ったのです。

ごきぶりと言ったのは女の子で、男の子達からは言われていなかったし、今でいう、いじめというほどの陰湿なものではありませんでした。きゃーっとからかったという程度。でも言われた方は傷つきますよね。
そういえばどんくさかったかもしれない男の子でしたが、そんなことを言われるような対象の子であることにも私は気づいていませんでした。

そう言われたのを聞いたのも1回きりで、それからそれが続くということもありませんでした。
ただし、その男の子(T君とします)はそんな風にからかわれる対象であるというのが私の頭にインプットされ、その子には気をつけて優しく接するようになりました。なんとなく、、。そんな風にからかっちゃいけない!という気持がどこかに働いていたのだと思います。

そうしたら、ある日、その女の子が私のところにきて、「T君がしいちゃんのこと好きなんだって」と言って、きゃーっと逃げていきました。

私のその時の感想は、え?????????
言ったまま走って逃げていっちゃったし、「今のはなんだったのかなー?」という程度。なんかぼーっとした反応でした。ただし、あー、優しくしていたから、そんなことになったのだな?ということを子供ながらに思っただけです。

またその女の子も気の良い子で、たぶん女の子特有のちょっとからかいたくなったというだけだったんでしょう。それ以降何か言われることもなく、それらしき反応もなかったです。
私が無反応??で、気にしてなかったのも良かったかもしれません。
別にその子に何か追いかけて言うこともしなければ、何事もなかったのようにその女の子にも接しました。

幸いなことに私は、小学校のときはたぶん一番目立つ存在だったと思います。
勉強もできて、スポーツもできる。
水泳大会でもマラソン大会でも長いこと負けたことがありませんでしたし、バスケット部でも活躍してました。
小学校4年生の時には、5−6年生が出場する市の水泳大会に「4年生だけれど特別に出場するんです。前に出なさい」と突然言われて、仰天!? 全校生徒の前で特別紹介されました。

またうちの学校は卒業式がすばらしい式で、式の間中、ピアノの演奏とともに、みんなで歌を歌いながらすすめていくのです。卒業生が歌う部分、在学生が歌う部分などあり、曲も合唱も素晴らしかったです。

そのピアノの演奏は式の間ずっと続き、先生ではなく、小学生が演奏します。長いし,大変なので、姉も演奏経験者の一人でしたが、姉のときは数人で交代でひいてました。

ところが私の時代は学年の人数が少なかったこともあったのか、姉から教えてもらえるでしょうということでなったのか、覚えていませんが、姉から伝授されて私が一人で最初から最後まで演奏することになりました。
(余談ですが,姉の教えは厳しく、私は小学生ながら泣きながら練習してました。笑。良い経験です)
たしか記憶が間違ってなければ2年続けて弾いたと思います。
全校生徒の前で、ピアノの演奏もしちゃうぐらいなので、小さな学校だったこともあり、活躍の場面がいっぱい。クラスの一番にぎやかな男の子達ともよく遊んでいたし、いじめの対象になるような子供じゃなかったのです。

だからT君事件もそこで終わりましたが、私が目立たない子供だったら続きがあったかもしれないし、私が繊細な子だったら自分も傷ついたりしたのかな?と思ったりします。


次に思い出したのは中学生2年生の時のことです。
中学生のときは、たしかにいじめのような陰険な雰囲気がありました。

派手な女の子達のグループ、地味な女の子達のグループ、そのどちらでもない普通のグループに分かれていたのですが、派手な子達が地味な子達を陰険にからかい始めたのです。

私は普通のグループにいたのですが、からかわれている中に部活の親しい女の子がいたこともあり、いじめてるグループに反発。そこで今度は派手な子達と、いじめを庇った私達が、険悪な関係になっていきました。
私達普通のグループは、いじめられるようなグループじゃなかったので、対等に喧嘩状態になっていったのです。

当時は日記のようなものを毎日担任の先生に提出することになっており、そこにお互いに喧嘩の様子??を先生に愚痴ったり、書き綴ったりしていました。小さな欄なのに、書くことがたくさんありすぎて、入りきれない!笑。

今思うと、担任の先生もよく毎日毎日、中学生の日記を全員分、読んでいたものです。大変な作業だったと思うのですが、クラスでおきてることを掴むには良かったんでしょう。

しばらくお互いに仲が悪い状態が続いた頃、ある日先生がみんなの前で言いました。
「最近この日記の内容が、お互いの悪口のようになっている。先生はがっかりだ」

詳しい言葉は忘れましたが、そんな風なことだったと思います。

「どうしてそうなんだ」というような言葉も言われたのですが、本当に心底苦しそうに、声を絞り出すようにおっしゃいました。

それを聞いて、私達はみんな「はっ」としたのです。
本当にクラスの全員が我に返ったと思います。

ちょっとしたことがきっけかで、クラスの雰囲気が変な流れになり、エスカレートしていたことにはっと気づき、大好きな先生をがっかりさせるようなことをしていたにも気づき、、。自分たちの行為を恥ずかしいと思ったのです。

あの先生のたった一言で、クラス全員が大反省をし、また仲の良いクラスに戻っていきました。
子供ってそのように、1つのきっかけで良い方にも悪い方にも変わっていくと思うのです。
だから大人の強い一言は本当に大事だと思います。

余談ですが、その派手なグループの中心人物の一人と、私は席が隣だったこともあり、わりと気が合う雰囲気でした。ちょっとしゃべってみると、いや、この子おもしろい、気も合う。その子も勉強ができることもあり、勉強の話でもおもしろい会話ができる。たぶん向こうも同じことを思っていたと思います。

なので、根は悪くないというのは分かっていました。同時に、どうして集団になるとあんな態度になっちゃうのかしら?とも思っていたものです。でもその意味で、中学生の何かに煽られた集団というのはいくらでもエスカレートするんだなあと思います。全然性格の悪くない子でも。


子供の心に気づける大人、強い大人になれるかな??


■ひとりごと | コメント(1)
13年も住んだサンツ地区から、引っ越しました。
引越前夜は窓から見えるところの2カ所から花火大会があり、私の最後の夜を飾ってくれました。

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今までも何度もアパートから花火は見てましたが、この13年でもっともすごい花火大会でした。どうしちゃったの??花火倉庫で間違って引火しちゃったの?というぐらい、すごかった。友達も同じことを言ってました、あんなすごい花火は見たことがなかった!!と。

しかも最初に、派手な花火大会があって、終わってすぐに別のところからもスタート。あれはちゃんと2つが続けて見れるようにタイミングも計っている感じでした。それか花火職人さんが場所移動したのかしら。

写真を撮ろうとしましたが、うまく行かず、断念。だから写真がしょぼいですが、こんなもんじゃありませんでしたよ。おセンチな気分になって、花火大会を見て楽しみました。私の最後の夜を盛り上げてくれてるのねー♩

(ところで、私の後にアパートは住民が見つからなかったので、キッチンも窓も全面改装へ。いいなあ、、。でも家賃はそんなにあげないつもりらしいです。住みたい人はご連絡を!(アパートあきますの記事



翌日は月曜日の午後という中途半端な時間なのに、友達がみんなで夜遅くまで手伝ってくれました。
日曜日にはシーンとしてましたが、月曜だったおかげで、ほぼ全員のアパートのおじいちゃん、おばあちゃんたちとお別れができました。友達が「しいちゃん、愛されてるね!」と言ってくれましたが、私がということではなく、お年寄りが多く、みんな良い人たちで、長く住んだから、でしょうね。

新しいアパートの方も「まあ、あなたたちが新しい住民ね!」と声を掛けてくれる人が多く、これまた好印象でした。

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■ひとりごと | コメント(0)
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